2012年1月9日月曜日

投影法と言う名の冗長で陰気な、言うなればドイツ人とイギリス人の嫌な部分が合わさった文章。

数少ない僕のブログ読者諸君、僕は元気だ。

今回のテーマは特にない。何に感化されてもいないし、別段変わった音楽ニュースもない(福山市にレコード屋がある事を発見した位)

ではなぜ書くのかというと、こういう時に書く文章こそが、僕自身を投影出来るのではないかと少し思ったからだ。あまりに哲学的で、僕自身が理解に苦しむ部分がある(ただの冗長な文章)

うちの親は禁煙してたのだけど、最近また吸い始めてしまった。またやめられるから大丈夫と宣っていたけれど、きっと無理だろう。タバコは大麻より常習性は高い。ここで日本語に注意なのだけど、「は」という事だ。他は日本に於いて臨床実験等されていないので、知らない。

タバコにしろ酒にしろドラッグだ。人間を変えてしまうドラッグだ。ニコチンは集中力を奪うし、アルコールは判断力等奪ってしまう。それをドラッグと認識しないのは少し危険かと思う。禁酒禁煙にしたらもっと世の中があれてしまうので代替案は用意していないけども、認識するという事はとても大事だと思う。だからどうだという訳ではないのだけど(この辺り冗長だ)

そういえば、あーだこーだ言ってたけど、行く国が決定!カンボジア!ふーーーー!シェムリアップ周辺に行ってみようかと思ってる。アンコールワットを見てくる。でも、あんまり観光地って興味ないんだよね。出来れば市場とかそういうとこの方が楽しい。アジアは観光するに当たって最高だと思う。雑然としてるからね。

うすうす感づいておられるかもしれないが、別段書く事なんてない。これと言って、ない。
この文章を読むまできっと「書く事ないんだろーなこの人」とか思っていたあなた、僕は完全にあなたの事を見透かしていましたし、見透かされてもいました。書く事は別段、ない。

僕が何をしても、何を考えても、あなたたちに何ら影響を与えない。(暴力を除くよ)何ら起こらない。それは僕が何も起こさないから。思想、行動の共有によって何かの発起や動機につながるのかもしれない。でも、僕は共有しない。したくても行動に移せないから。溌剌ともしておらず、明瞭でもない、ただの空気人形だ。栓がぬければ、きっと僕は駄目だ。




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